フィギュアヘッズ黙示録

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さらばフィギュアヘッズ 愛の戦士たち

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確かに、正直筆者もここのところプレイしていなかった。

マッチするたびに超初心者とか、ランクだけ一人前なWikiすら読んでなさそうな人が1~2人いて、筆者も筆者で凡庸プレイヤーなので状況をひっくり返せるほどの力はなく、俺もつまらんし、こりゃ初心者もつまらんだろうなぁと思っていたらコレである。

 

割と本気で悔しいし、悲しい思いである。

もちろん不満も無かったわけではないが、多くはプレイヤー不足と初心者プレイヤーへの情報不行き届きが原因だったと思うし、だからこそこのブログのような攻略記事を書いていたのだ。そんな労力をかける価値があるゲームだと思っていた。

 

 

 思えば筆者がフィギュアヘッズに触れたのは2年前、サービス開始間もない時期であった。友人から「(筆者が10年来プレイしている)『戦場の絆』っぽいゲームがあるぞ」と誘われ、始めたのがきっかけだ。

なるほどこまめなレーダー管理や、チームワークの重要性、キルによる得点同様にそのタイミングの重要度が高く、じりじりと戦線を押し上げていくゲーム性はなじみのあるものだった。

多くのユーザーが「爽快感」を求めて離れて行ったり、テコ入れに途中からクイックスライド装甲が実装されたりしたが、初期の段階で私をこのゲームにつなぎとめたのは、そういった要素への適性とでも言うべきものがあったのかもしれない。

 

しかし何より心を掴まれたのは、メカの動きとそれを支える世界観だった。

地面をドタドタと走り回る重量感、デザインからにじみ出る「元・作業用メカ」の雰囲気、そしてAI搭載メカという設定を反映し、時折見せる人間臭い挙動。

初期武装として配布されるジャンク品ですら、荒廃したステージの世界観とあいまって、手放したくなくなる味わいがあった。

 割と不評だったという話を後から知ったが、「(チュートリアルを)失敗した人は見たことがありませんからw」というゲーム内のアナウンスも、私にとってはドツボだった。

大手コングロマリットのエージェントを名乗りながら、そんな不誠実な物言いをする怪しい組織の手下になるのか?やがて対立するのか?その解釈はプレイヤーに任されることになるのか?そういったワクワク感が確かにあった。

ほかにも、PO実装のタイミングで廃止されてしまったが、各武器のフレーバーテキストも最高だった。単純なゲーム内性能の説明ではなく、「高い連射力を実現するため剛性の高い新素材を採用しているが、引き換えに重量が増加している」という『商品説明』がプレイヤーに提示されていて、企業からスポンサー料を貰って試合に出場する「ランクス」としての没入感があった。

 

少々微妙な調整が続いても筆者がこのゲームをプレイしていたのは、そういった世界観に惹かれたからというのが少なからずある。

 

 

まぁ、そんな話をするたびに、「そりゃ大衆ウケせんよ」と言われ、2年でのサービス終了という事実をもってそれは証明されたわけだが、それでも私の好きだったという気持ちに変わりはない。

 

 

そして今、改めて、サービスの終了したオンラインゲームが遺せるアーカイブの少なさに呆然としている次第である。

アニメは販売されたメディアに収録された映像さえあれば、あのシーン、あのセリフ、あの動きを何度でも楽しむことができる。コミュニティを失っても、関連商品が出なくなっても、追憶の手がかりとなる「核」の部分は残る。

 

しかしオンラインゲームで、サービス終了後にアクセスできる情報といえば、公式サイトの情報(それもいつまで残っているのか?)と、有志によってアップロードされたスクリーンショットと録画程度である。

公式サイトを見るだけでゲームに興じた日々が蘇るということは無いだろうし、試合を思い起こさせるプレイ動画にしても、各々が勝手にアップロードしているのだから散逸ぶりは相当なものだ。

更にこのゲームの場合、カスタマイズ要素がその散逸ぶりを加速させているだろう。「僕の考え抜いて作ったあの機体」は、自分が残しておかなければ残らない。新しいアイデアが浮かんでも、もう実践することは出来ない。

 

「ガチャで何万円もかけたってサービス終了したら消えるじゃんw」などという煽りは、ゲームの楽しみを非難・否定する根拠にこそならないが、相当に核心をついているのだと、愛するゲームが終了する光景を前にして思う。

 

願わくば、このブログがその記録の一部となって残らんことを。

そして、プレイヤー一人一人の心にもまた、フィギュアヘッズというゲームが残り続けてることを願ってやまない。

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